穂の香り
私が作ったお米をどんな人たちが食べているのだろうか。生産したほとんどのお米の行き先は実のところ把握していない。購入者からも私の姿は見えてはいないだろう。品種や多少の産地は気にしても、生産者にまで関心が及ぶ人は少ないだろう。私自身、スーパーで米以外のものを手に取る時に特別何かを気にすることはない。値札に目が行くこともあるけれど、いつものように整然と並べられたそれらに手をのばす。
めずらしく見当たらないものがあったとしても他のスーパーに行けばあるだろう。明日になればまた並ぶのだろう…と。だが本当にそんな日常がいつまでも続くのだろうか。
祖父の頃から兼業農家であったが、圃場整備が行われたのを機に近所の4軒が集まり、1985年から本格的に農業を始めた。専業ではなく兼業を維持しながらだ。主に高齢化などで続けるのが困難になった農家の作業を引き受けた。
当初は半分ボランティア的な部分もあり、休日もそんな農業をやるのが嫌だった。休みがないだけなく、重労働で汚いとくるのだから無理もない。
2022年、ちょうど稲作の計画を考えていたころ世界では紛争が勃発。最初は遠い国の出来事のように捉えていたが、兼業の木工仕事に携わる中で頻繁に使っていた材料が入荷し難くなった。そしてちょうど田植えの時期を迎えたころ、愛知県の明治用水頭首工の漏水事故で農家に水が供給されないというニュースが流れてきた。材料や水がなければ先日までのような生産は行えない。そんな直接的な事象以外にも地球温暖化による気候変動の影響も感じずにはいられない。さらには国の政策転換も見逃せない。50年近くにわたって実施された減反政策が2018年に廃止された。農家への補助金の削減と海外市場を目指した企業が農業へ参入する期待だ。作付面積を増やしブランド米を輸出してビジネスを展開したいという理想的な構想を説明会などで何度か耳にした。だが、作付面積は必ずしも増えているわけではない。
また、農家が生産するのは人間の食用だけではない。エサとなる飼料米も生産している。私の関わる稲作も総生産量の約40%が飼料米だ。全国でこれらが減産となれは畜産業に影響が広がる可能性もある。
減反政策廃止の影響が顕在化するにはもう少し時間がかかるとはいえ、一般農家の生産離れはとどまる気配がない。
機械化による効率アップと自動化で作業負担の軽減が進んではいるが、減ってゆく人員と増加する作業依頼の速度が勝る。
先祖から受け継いだ我が家の水田を守る。そう聞かされて育った私は兼業農家を継承した。だが今は、仲間たちと協力し合いながら地域全体の水田を守らなければならないと思っている。
ある日、携帯で「ゆくゆくは農夫不要の時代が来る」という記事を見た。 でもそれはまだ今日ではない。